演劇について

演劇公演とは誰のものか

演劇の稽古をしていると、ときどき「自分がどう見えるか」をものすごく気にしている役者に出会います。

目立ちたい。印象を残したい。自分らしい演技をしたい。

その気持ち自体は、役者として自然なものだと思います。

ただ、僕はそこに少し違和感があります。

演劇公演は、役者のものではありません。演出家の作品です。

映画を考えると分かりやすいと思います。

映画は、基本的に監督の作品として世に出ます。そこに出演している俳優がどれだけ素晴らしい演技をしていても、その映画そのものが俳優の作品になるわけではありません。

演劇も同じです。

舞台上にあるすべてのものをどう配置するのか。どんなテンポで進めるのか。どこを見せ、どこを見せないのか。役者をどう動かし、どういう人物として観客に見せるのか。

そうしたものを一つの作品としてまとめるのが演出家です。

だから役者は、演出家が作ろうとしている作品を実現するためのパーツです。

「パーツ」という言い方に抵抗を感じる人もいるかもしれません。

でも、僕はむしろ役者にとって、とても重要なことだと思っています。

役者の仕事は、自分が目立つことではありません。求められた表現に対して、必要十分な準備をしておくことです。

その役に必要な感情を作る。
必要な身体表現を身につける。
必要なセリフを言えるようにする。
必要な動きを正確に再現する。
そして、それを作品の中で成立させる。

役者を輝かせるのは演出側の仕事です。

役者が「ここは自分が目立つべきだ」と勝手に判断して、演出家の意図とは違う表現を始めてしまったら、それは作品に対する貢献ではありません。

ただし、ここには一つ大事な例外があります。

稽古では、役者はどんどん自分をアピールしていい。

なぜなら演出家は、その役者が何ができる人なのかを100%知っているわけではないからです。

思ってもいなかった表現を持っているかもしれない。
ものすごく面白い身体の使い方ができるかもしれない。
意外な声を出せるかもしれない。
その役者にしかできない表現があるかもしれない。

だから稽古では、それを見せればいい。

「僕はこういうことができます」
「こんな表現もできます」

そうやって可能性を提示する。

その中から、作品に必要なものを演出家が選ぶ。

ここが大切です。

役者が可能性を提示することと、役者が最終的な表現を勝手に決めることは違います。

稽古では自分を出す。
本番では作品に従う。

僕は、そのくらいの線引きが必要だと思っています。

役者が自分のために演技するのではなく、作品のために自分の持っているものを最大限に使う。

それが役者の仕事なのではないでしょうか。

文責:チャッピー