【あらすじ】
白井市に伝わる名馬「生食(いけづき)」の伝説。源平合戦の宇治川の先陣争いで名をあげたこの馬は、七次新田(現在の白井市冨士周辺)でたびたび姿を見せ、「八幡様の使い」と信じられていたと伝えられている。
【民話の内容】
昔、東葛飾郡の深井村(現在の柏市付近)で、一頭の荒々しい馬が生まれた。里の人々はこの馬を「八幡」と呼んでいた。八幡は足が速く、房州峰岡(現在の鴨川市から南房総市にかけての一帯)まで駆けまわるほどで、白井の七次新田(現在の白井市冨士のあたり)にも、たびたび姿を現した。根の字野中清水から八幡溜のあたりにかけて、この馬が現れる姿が見られたといい、人々はいつしかこの馬を「八幡様の使い」と信じるようになった。
この荒々しさから、後に源頼朝のもとへ渡った際には「生食(いけづき)」という名が付けられたという。人にも噛みつかんばかりの猛々しさに由来する名だと伝えられている。生食は頼朝から佐々木高綱に与えられ、宇治川の合戦で梶原景季の乗る名馬「摺墨」と先陣を争った。生食はこの先陣争いに勝ち、日本一の名馬と謳われるようになった。
里の人々は、自分たちの土地にゆかりのあるこの名馬を祀る社を建てた。この社は延宝五年(一六七七年)に七次村字八幡の地へ移され、菅原道真を祀る天神社と合わせ祀られて「天神八幡神社」となった。その後、大正二年(一九一三年)に大日神社へ合祀され、現在に至っている。
また、根・七次のあたりには、江戸時代に幕府が設けた馬の放牧場「中野牧」があり、牧の馬が逃げ出さないよう土手と堀が築かれた。これが現在も残る「八幡溜野馬除土手」で、白井市の指定文化財となっている。生食の伝承が伝わるこの一帯は、名馬にまつわる言い伝えとともに、馬と深く結びついた土地の歴史を今に伝えている。