HATAKITI 演劇の教科書|演劇の歴史

第3章 中世の演劇

古代の劇場文化のあと、演劇はどのように変わっていったのでしょうか。ここでは中世ヨーロッパを中心に、教会や町、広場などで行われたさまざまな演劇を見ながら、演劇が社会の変化に合わせて姿を変えていく様子を見ていきます。

はじめに

第2章では、古代ギリシャやローマで、演劇が祭りや社会の中で発展し、劇場という専用の場所も作られていく様子を見ました。

では、古代の時代が終わったあと、演劇はどうなったのでしょうか。

中世の演劇について考えるにゃかきち

古代の大きな劇場がなくなったら、演劇もなくなっちゃったのかニャ?

演劇は、古代の劇場とまったく同じ形で続いたわけではありません。しかし、人々が物語を演じ、見るという行為は、別の場所や目的と結びつきながら続いていきました。

3-1 古代のあと、演劇はどうなった?

古代ローマの社会が変化すると、古代の劇場文化をそのまま受け継ぐのではなく、演劇の行われ方も変わっていきました。

中世ヨーロッパでは、キリスト教の祭礼や典礼と結びついた劇的な表現が発展し、やがて教会の外や町の中でもさまざまな劇が行われるようになります。

大切なのは、「演劇が消えた」と考えるのではなく、「演劇の場所や形が変わった」と見ることです。

3-2 教会の中で物語を表現する

中世ヨーロッパでは、教会の祭礼や典礼の中に、歌や対話、動作を使って物語を表現する要素が見られました。

12世紀のフランスに伝わる『アダム劇』のように、聖書の物語を舞台上で表現する作品も残っています。『アダム劇』には、登場人物の動きや話し方、舞台上での位置などを示す細かな指示も記されています。

中世の教会の中で行われた演劇の様子を示す図解
教会と中世演劇について考えるにゃかきち

教会の中でも、物語を「演じる」ことがあったんだニャ!

ただし、礼拝そのものと演劇を同じものとして考えるのではなく、典礼と結びついた劇的な表現が発展した、と考えると分かりやすいでしょう。

3-3 教会の外へ出ていく演劇

演劇の場所は、教会の内部だけに限られていたわけではありません。教会の入口や前の空間、町の広場など、人々が集まる場所も上演の場になっていきました。

『アダム劇』の舞台指示からは、教会の入口を背景に、町の人々が行き交う空間で上演することが想定されていたことが分かります。

教会の中から教会の外、町や広場へ演劇が広がる流れを示す図解
教会の外へ広がる演劇に驚くにゃかきち

演劇をする場所が、教会の外にも広がっていったんだニャ!

3-4 広場が舞台になる

町の広場のような場所では、古代ギリシャのような大きな常設劇場がなくても、演じる場所と見る場所を作ることができます。

簡単な舞台や建物の前などを使い、観客が周囲から見る。こうした環境では、舞台と客席の距離も近くなります。

ここで、第1章で考えた「劇場がなくても、舞台は生まれる」という考え方が、歴史の中でもう一度見えてきます。

中世の町の広場に作られた仮設舞台を示す図解

3-5 大きな物語を、みんなで演じる

中世の宗教劇には、聖書や聖人の物語などを題材にしたものがありました。作品によっては、ひとつの短い場面だけでなく、複数の場面をつないで大きな物語を見せることもありました。

こうした劇では、物語を「説明する」だけではなく、人物が登場し、話し、動き、出来事を目の前で起こしていきます。

物語を演じることに興味を持つにゃかきち

長い物語も、登場人物が実際に動けば、目の前の出来事として見えてくるんだニャ。

3-6 「善」や「悪」も舞台に登場する

中世には、人物の行動を通して「どう生きるべきか」を考えさせる劇もありました。

こうした道徳的な劇では、善や悪、徳、欲望など、目に見えない考え方を人物のように扱って表現することがあります。観客は物語を楽しみながら、自分の生き方について考えることになります。

道徳劇について考えるにゃかきち

目に見えない「善」や「悪」まで、人の姿にして演じられるんだニャ?

3-7 中世の演劇には、笑いもあった

中世の演劇を、宗教的で真面目なものだけだと考える必要はありません。後期中世には、道徳劇だけでなく、ファルス(滑稽劇)のように、日常の人間関係や失敗、欲望などを笑いにする作品もありました。メトロポリタン美術館も、道徳劇『エブリマン』やフランスのファルスなどを中世演劇の例として紹介しています。

中世演劇の笑いに気づいたにゃかきち

中世の人たちも、笑える劇を楽しんでいたんだニャ!

3-8 誰が演じていたの?

中世の演劇を支えた人々は一様ではありません。教会に関わる人々、市民、都市の職人や団体など、地域や作品によってさまざまな担い手がいました。

つまり、演劇は「専門の劇場にいる俳優だけがするもの」ではありません。社会の中にいるさまざまな人が、演じる側として関わることもあったのです。

中世演劇における演じる人と見る人の関係を示す図解

3-9 日本の中世では、能と狂言が育っていく

ここまで主にヨーロッパの中世を見てきましたが、同じ時代の日本でも、独自の舞台表現が発展していきました。

能は複数の芸能の流れから発展し、14世紀以降の日本で上演されてきました。室町時代には足利義満の庇護を受けた観阿弥・世阿弥らによって発展し、世阿弥は演技や能についての理論も残しています。

狂言は能とともに発展した喜劇的な演劇で、能の合間などに演じられました。

日本の中世演劇について理解したにゃかきち

ヨーロッパとは違う歴史の中でも、演劇は育っていったんだニャ!

3-10 中世の演劇から何が見えてくる?

第2章では、演劇が祭りや都市の中で形を整え、劇場という専用の空間も発展していきました。

第3章では、その形が一つに固定されなかったことが分かります。

教会 → 教会の外 → 町や広場 → さまざまな上演の場

中世演劇が行われたさまざまな上演場所を示す図解

演劇は、社会の中で人々が集まる場所と結びつきながら、宗教的な物語、道徳、笑いなど、さまざまな内容を表現するようになりました。

中世演劇の流れを理解したにゃかきち

演劇って、時代や場所が変わるたびに、姿も変わっていくんだニャ。

第3章まとめ

中世の演劇は、古代の劇場をそのまま受け継いだものではありませんでした。教会や典礼と結びついた劇的な表現が発展し、やがて教会の外や町、広場などにも上演の場が広がりました。

宗教的な物語だけでなく、道徳や笑いを扱う劇も生まれ、日本では能や狂言など、別の歴史的背景を持つ舞台表現も発展していきました。