HATAKITI 演劇の教科書|演技をする
第3章 滑舌
母音と子音を明確にし、言葉を相手と劇場という空間に届けます。
はじめに
滑舌は、早口で話すための技術ではありません。
舞台では、相手に向けた言葉が客席の最後列にも意味として届くことが求められます。そのためには、大きな声だけでなく、口・舌・顎・表情筋を適切に使い、音を明確にすることが必要です。

滑舌って、早口言葉を練習することなのかニャ?
早口言葉は練習方法の一つです。まずはゆっくり、音を一つずつ明確にするところから始めます。
3-1 滑舌のしくみ
声が「言葉」になるまでには、いくつもの身体の働きがあります。
呼吸で生まれた息が声になり、その声を口の中で形づくることで、私たちは言葉を話します。滑舌では、息・声・口の形・舌・顎がつながっていることを意識します。
滑舌の基本は「速さ」より「明瞭さ」です。
ゆっくり話しても音が曖昧なら、聞き手には伝わりません。逆に、一つひとつの音が明確なら、速度が上がっても言葉を保ちやすくなります。
3-2 口・舌・表情筋を動かす
発音の準備では、口だけでなく顔全体を固めないことも大切です。
顎を固める、唇があまり動かない、舌が動きにくい、頬や口角が固まっている。こうした状態では、音の形を細かく変えにくくなります。
ここでいう表情筋の使い方は、表情を大きくするための訓練ではありません。顔全体をゆるめ、発音に必要な部分を自由に動かせるようにすることが目的です。
発音前の2分準備
- 顔全体の力を抜き、自然に口を閉じる。
- 顎を軽く開けたり閉じたりする。
- 唇を前へ出す、横へ引く、自然に戻す。
- 舌を前へ出す、戻す、左右へ動かす。
- 最後に「あ・い・う・え・お」を、顔全体を使ってゆっくり発音する。
ポイント:強く動かす必要はありません。動かしやすく、余分な力が残っていない状態をつくります。

顔を大きく動かせば、滑舌もよくなるのかニャ?
大きく動かすことが目的ではありません。顎・唇・舌・頬などを固めず、必要な動きを自由にできることが大切です。
3-3 母音を明確にする
母音は、言葉の響きと口の形を確認する基本です。
「あ・い・う・え・お」を一音ずつ発音し、口の形を丁寧に変えます。母音が曖昧になると、子音が聞こえていても言葉全体がぼやけてしまいます。

母音って、口の形を変えることも練習なのかニャ?
その通りです。口の形を丁寧に変えることで、音の違いがはっきりします。
3-4 子音を明確にする
子音は、言葉の輪郭をつくります。
「か・さ・た・は・ま・ら」などの各行を、一音ずつ明確に発音します。子音は、舌・唇・歯・口の形など、音によって使う場所が変わります。
全部を強く発音する必要はありません。
音の特徴が分かる程度に明確にします。力任せにすると顎や喉まで固くなるので、必要な部分だけを動かします。
3-5 音をつなげて言葉にする
一音ずつ練習したら、音をつなげて自然な言葉にします。
滑舌練習では、一音ずつ明確にすることと、実際の言葉としてつなげることの両方が必要です。音を強調しすぎて不自然にならないよう、少しずつ通常の話し方へ戻します。
明瞭さを保ったまま、少しずつ自然な話し方へ戻します。
3-6 言葉の頭・途中・語尾を明確にする
言葉は、最初から最後まで保ちます。
言葉の頭が弱いと聞き手は言葉の入り口をつかみにくくなります。途中の音が抜けると意味が変わり、語尾が消えると文の終わりが曖昧になります。
語尾を「強くする」のではなく、語尾まで「存在させる」。
舞台では、客席まで言葉が届くように、最後の音まで意識します。
3-7 速く話しても崩さない
速度を上げるのは、明瞭に話せるようになってからです。
文章や早口言葉を使って、ゆっくり → 一定の速度 → 少し速く、と段階を踏みます。音が崩れたら、一つ前の速度へ戻します。
音が崩れたら、一段階前の速度へ戻ります。
速さを上げることより、明瞭さを保てる速度を見つけることを優先します。
3-8 台詞で滑舌を使う
最後は、練習した滑舌を実際の台詞へつなげます。
まず台詞をゆっくり明確に読み、次に自然な速度へ戻します。その後、相手に話しかける意識、感情、身体の動きを加えます。
3-9 劇場という空間に言葉を届ける
滑舌は、口元だけの技術ではありません。
舞台では、相手役との距離だけでなく、客席の奥まで言葉が届くことを意識します。声量を上げることと、言葉を明確に届けることは別です。
息 → 声 → 音 → 言葉 → 相手 → 客席
身体を使って息を送り、音を明確にし、その言葉を相手と空間へ届ける。これが舞台での滑舌です。

大きな声なら、客席の奥まで言葉が届くのかニャ?
声量だけではなく、息・響き・言葉の明瞭さ・声を向ける方向を使って届けます。
実践エチュード 滑舌を身体になじませる
五十音を使って、口・舌・顎を動かしながら滑舌を身体になじませます。
五十音を口を動かして言う 10分
あ行からわ行まで、各行を五つの順番で繰り返します。最初はゆっくり、一音ずつ口・舌・顎をしっかり動かします。明瞭さを保てるようになったら、少しずつ速度を上げます。
あいうえお いうえおあ うえおあい えおあいう おあいうえ
かきくけこ きくけこか くけこかき けこかきく こかきくけ
さしすせそ しすせそさ すせそさし せそさしす そさしすせ
たちつてと ちつてとた つてとたち てとたちつ とたちつて
なにぬねの にぬねのな ぬねのなに ねのなにぬ のなにぬね
はひふへほ ひふへほは ふへほはひ へほはひふ ほはひふへ
まみむめも みむめもま むめもまみ めもまみむ もまみむめ
やいゆえよ いゆえよや ゆえよやい えよやいゆ よやいゆえ
らりるれろ りるれろら るれろらり れろらりる ろらりるれ
わゐうゑを ゐうゑをわ うゑをわゐ ゑをわゐう をわゐうゑ
ポイント:「速く言う」ことが目的ではありません。音が曖昧になったら一段階ゆっくりに戻し、口の動きを確かめます。
付録 外郎売 ― 言葉を身体になじませる
第3章で学んだ滑舌を、長い口上の中で実際に使ってみましょう。
「外郎売」は、俳優の発音練習でよく使われる長い口上です。たくさんの言葉が続き、似た音が連続する部分もあります。
しかし、目的は「外郎売を速く言えるようになること」ではありません。一つひとつの音を明確につくり、言葉をつなげ、意味を持って話し、最後には相手や劇場へ届ける。第3章で学んだ滑舌を、実際の言葉の中で使ってみましょう。
外郎売本文
以下は二代目市川團十郎による1718年の作品をもとにした本文です。底本は『花江都歌舞妓年代記』。原文はWikisourceで確認できます。
拙者親方と申すは、お立合の中に御存知のお方もござりましょうが、お江戸を発って二十里上方、相州小田原一色町をお過ぎなされて、青物町を登りへおいでなさるれば、欄干橋虎屋藤右衛門、只今は剃髪致して、円斎と名乗りまする。元朝より大晦日まで、御手に入れまする此の薬は、昔ちんの国の唐人、外郎という人、わが朝へ来り、帝へ参内の折から、此の薬を深く籠め置き、用ゆる時は一粒ずつ、冠の隙間より取り出す。依って其の名を帝より、「透頂香」と賜る。即ち文字には、頂き、透く、香いと書いて、とうちんこうと申す。
只今は此の薬、殊の外世上に弘まり、方々に似看板を出し、イヤ、小田原の、灰俵の、さん俵の、炭俵のと色々に申せども、平仮名をもって「ういろう」と記せしは親方円斎ばかり。もしやお立合の内に、熱海か塔の沢へ湯治にお出でなさるるか、又は伊勢参宮の折からは、必ず門違いなされまするな。お登りならば右の方、お下りなれば左側、八方が八つ棟、表が三つ棟玉堂造、破風には菊に桐の薹の御紋を御赦免あって、系図正しき薬でござる。
イヤ最前より家名の自慢ばかり申しても、御存じない方には、正身の胡椒の丸呑、白川夜船。さらば一粒食べかけて、その気味合をお目にかけましょう。先ず此の薬を、かように一粒舌の上に乗せまして、腹内へ納ますると、イヤどうも云えぬは、胃、心、肺、肝が健やかになりて、薫風咽より来り、口中微涼を生ずるが如し。魚鳥、茸、麺類の食合わせ、其の外、万病速攻あること神の如し。さて、此の薬、第一の奇妙には、舌の廻ることが、銭独楽が裸足で逃る。ひょっと舌が廻り出すと、矢も楯も堪らぬじゃ。
そりゃそりゃ、そらそりゃ。廻って来たわ、廻って来るわ。アワヤ咽、さたらな舌に、カ牙サ歯音。ハマの二つは唇の軽重、開口爽かに、あかさたなはまやらわ、おこそとのほもよろを、一つへぎへぎに、へぎほしはじかみ。盆豆、盆米、盆牛蒡。摘蓼、摘豆、摘山椒、書写山の社僧正。粉米の生噛、粉米の生噛、こん粉米の小生噛。繻子緋繻子、繻子繻珍、親も嘉兵衛、子も嘉兵衛、親嘉兵衛子嘉兵衛、子嘉兵衛親嘉兵衛。古栗の木の古切口。雨合羽か番合羽か。貴様の脚絆も皮脚絆、我等が脚絆も皮脚絆。尻皮袴のしっぽころびを、三針針長にちょと縫うて、縫うてちょとぶん出せ、河原撫子、野石竹。野良如来、野良如来、三野良如来に六野良如来。一寸先のお小仏にお蹴躓きゃるな。細溝に泥鰌にょろり。京の生鱈、奈良生学鰹、ちょと四、五貫目。お茶立ちょ、茶立ちょ、ちゃっと立ちょ、茶立ちょ、青竹茶筅でお茶ちゃっと立ちゃ。
来るわ来るわ何が来る、高野の山のおこけら小僧。狸百匹、箸百膳、天目百杯、棒八百本。武具馬具、ぶく、ばぐ、三武具馬具、合わせて武具馬具、六武具馬具。菊栗、きく、くり、三菊栗、合わせて菊栗、六菊栗。麦、ごみ、むぎ、ごみ、三麦ごみ、合わせて麦、ごみ、六麦ごみ。あの長押の長薙刀は、誰が長薙刀ぞ。向うの胡麻殻は荏の胡麻殻か、真胡麻殻か、あれこそ本の真胡麻殻。がらぴい、がらぴい風車。おきゃがれ小法師、おきゃがれ小法師、昨夜もこぼして、又こぼした。たあぷぽぽ、たあぷぽぽ、ちりから、ちりから、つったっぽ。たっぽたっぽ、一丁蛸、落たら煮て食を。煮ても焼いても食われぬものは、五徳、鉄弓、金熊童子に、石熊、石持、虎熊、虎鱚、中にも東寺の羅生門には、茨木童子が、うで栗五合、掴んでおむしゃる、かの頼光の膝元去らず。
鮒、金柑、椎茸、定めて後段な、蕎麦切り、素麺、饂飩か、愚鈍な小新発地。小棚の、小下の、小桶に、こ味噌が、こ有るぞ、小杓子、こ持って、こすくって、こよこせ。おっと合点だ、心得たんぼの、川崎、神奈川、程ケ谷、戸塚は、走って行けば、灸を擦りむく、三里ばかりか、藤沢、平塚、大磯がしや、小磯の宿を七つ起きして、早天早々、相州小田原透頂香、隠れござらぬ、貴賤群衆の花のお江戸の花ういろう。あれあの花を見てお心をお和らぎやという。産子、這子に至るまで、この外郎の御評判、御存知ないとは申されまいまいつぶり、角出せ、棒出せ、ぼうぼう眉に、臼、杵、擂鉢、ばちばちぐゎらぐゎらぐゎらと、羽目を外して今日御出の、いずれも様に、上げねばならぬ、売らねばならぬと、息せい引っぱり、東方世界の薬の元締め、薬師如来も照覧あれと、ホホを敬って、ういろうは、いらっしゃりませぬか。
外郎売を知る
外郎売は、外郎という薬を売る商人の口上を題材にしたものです。独特な言葉や昔の表現、似た音が続く部分が多く、発音の練習にも使われています。
単なる早口言葉ではなく、長い言葉を明確に相手へ届けるための教材として考えます。
まず、言葉の意味を知る
外郎売には、普段の会話ではあまり使わない言葉や昔の表現が出てきます。意味が分からないまま音だけを覚えると、言葉がただの音の並びになってしまいます。
まず文章を読み、分からない言葉を調べて、何を伝えているのかを理解しましょう。
一音ずつ明確に読む
最初は、驚くほどゆっくりで構いません。母音が曖昧になっていないか、子音が抜けていないか、口や舌がきちんと動いているかを確認します。
第3章で練習したことを思い出しながら、一つひとつの音をつくります。
音をつなげる
一音ずつ明確にできるようになったら、今度は音をつなげます。一音ずつ区切るのではなく、単語から文節へ、文節から文章へと自然につなげていきます。
明瞭にすることと、強く発音することは同じではありません。
意味を持って読む
ここから、外郎売は「滑舌の練習」から「台詞」へ変わります。誰かに向かって話しているつもりで読んでみましょう。
何を伝えたいのか、誰に話しているのか、どんな状況なのか。言葉の意味を身体に入れながら読んでいきます。
少しずつ速度を上げる
明瞭に読めるようになったら、少しずつ速度を上げます。
ゆっくり読む → 普通の速度で読む → 少し速く読む → さらに速く読む
音が崩れたら、一段階前の速度へ戻します。
「速く言う」と「急いで言う」は違う
速く言うことと、急いで言うことは違います。どれだけ速くても、音が聞こえ、言葉の意味が伝わらなければ、舞台では役に立ちません。
速度は目的ではありません。 明瞭な言葉を保ったまま、必要な速度で話せることが大切です。
相手へ届ける
言葉は、自分の口の中で完成するものではありません。相手に届いて、初めて言葉として働きます。
まずは目の前の相手へ。次に少し離れた相手へ。そして劇場の奥へ。相手との距離を変えながら、言葉を届けてみましょう。
声をただ大きくするのではなく、言葉を相手へ向けます。
外郎売を演じる
最後は、滑舌の練習として外郎売を読むのをやめてみましょう。これまで練習してきたことを使って、一つの口上として演じます。
言葉の意味、相手、状況、身体、速度、そして届ける方向。それらを一つにします。
滑舌を見せるのではなく、言葉を届ける。 それが、外郎売を演じるときの目標です。
本文の底本・作品情報:二代目市川團十郎『外郎売』(1718年)。Wikisource掲載の『花江都歌舞妓年代記』所収本文を参照しています。
第3章まとめ
身体を準備する → 母音を明確にする → 子音を明確にする → 音をつなげる → 速度を上げる → 台詞にする → 空間へ届ける。
滑舌は、早口になるための技術ではありません。口・舌・顎・顔を自由に使い、言葉を明確にし、相手と劇場という空間へ届けるための技術です。